東京地方裁判所 昭和56年(ヨ)2356号 判決 1983年7月19日
申請人 甲野太郎
右訴訟代理人弁護士 種田誠
被申請人 茨城急行自動車株式会社
右代表者代表取締役 村上誠一郎
右訴訟代理人弁護士 高橋梅夫
同 橘節郎
主文
被申請人は申請人に対し、昭和五六年一〇月以降本案判決確定に至るまで毎月二七日限り金二四万二六四〇円を仮に支払え。
申請人のその余の申請を却下する。
申請費用は被申請人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 申請人
1 申請人が被申請人に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。
2 被申請人は申請人に対し金二四万八〇三二円を昭和五六年一〇月一日から本案判決確定に至るまで毎月二七日限り仮に支払え。
3 申請費用は被申請人の負担とする。
二 被申請人
1 本件仮処分申請は却下する。
2 申請費用は申請人の負担とする。
第二当事者の主張
一 申請の理由
1 被申請人は、茨城県西部、埼玉県東部地区における旅客自動車運送事業(路線バス)を主たる業務とする株式会社で、本社を肩書地に有するほか、茨城、埼玉両県に営業所三箇所を有している。
2 申請人は、昭和四〇年三月、被申請人に期間の定めなく雇用され、以後同五二年三月までは下妻営業所に勤務し、その後営業所統廃合などにより岩井営業所、松伏営業所へ転勤し、同五六年九月からは北茂呂営業所に勤務し、いずれも事務職員として運行管理業務、賃金台帳作成業務、その他の庶務全般の業務に従事してきた。
3 申請人は、昭和五六年一〇月一日、被申請人から、書面をもって同日付で懲戒解雇する旨の意思表示を受けた。しかしながら、右懲戒解雇は次の各事由により無効である。
(1) 懲戒解雇該当事由が存在しない。
(2) 解雇権の濫用である。
(3) 懲戒解雇手続が労働基準法第二〇条に違反し、無効である。
(4) 本件懲戒解雇は申請人の組合活動を理由とし、申請人を組合から排斥する目的でなされた不当労働行為に該当するから無効である。
4 申請人の昭和五六年一〇月一日以前三ヵ月の平均賃金額は月額二四万八〇三三円で、その支給日は毎月二七日であった。
申請人は、被申請人から受領する賃金を唯一の収入源となし、他に収益をあげうる資産もなく、したがって本案判決が確定するまで右賃金が支払われないことになれば申請人とその家族(妻および二児)は経済的に困窮し、回復しがたい損害を蒙ることは明白である。
二 申請の理由に対する認否
1 申請の理由1、2の各事実は認める。
2 同3の事実中、被申請人が、昭和五六年一〇月一日、申請人に対し同日付書面でもって懲戒解雇の意思表示をしたことは認め、その余は争う。
3 同4の事実中、申請人の賃金の支給日、家族構成は認め、その余は争う。
三 被申請人の主張
被申請人が申請人を懲戒解雇にした理由は、つぎのとおりである。
1 懲戒解雇に関する規程
被申請人の就業規則第八七条は、「従業員の懲戒は、別に定めるところによる。」と規定し、これによって定められた懲戒規程には
第二〇条 従業員が次の各号の一に該当する行為を行ない、その行為が重いときは懲戒解雇とする。但し、情状により、減給、停職、又は論旨解雇とすることがある。
(11) 会社の金銭、又は物品を横領或は窃取したとき。
との定めが存する。
2 懲戒解雇該当事由
被申請人は、昭和四八年二月一日、申請外日本生命保険相互会社との間に生命保険の団体取扱契約を結び、また、昭和四六年五月二四日、申請外富国生命保険相互会社との間に団体定期保険契約を結んでいる。これらの契約は、いずれも、被申請人の従業員個人と右各保険会社が締結する生命保険につき、その各保険料を被申請人がとりまとめ一括して右各保険会社に払い込むこととし、保険会社は被申請人に対して払込金額の三パーセントを手数料として支払う、という内容である。
申請人は、被申請人の従業員として昭和四九年四月一六日から右保険支払業務を担当してきたものであるが、右保険料の支払に伴い被申請人が取得すべき手数料を一銭も会社に納入しないで着服していたものである。申請人が着服横領した金額は昭和四九年四月分から同五六年八月分までの日本生命保険相互会社分と富国生命保険相互会社分を合計して金八七万九六四一円となるものと思われる。
四 被申請人の主張についての申請人の認否
1 被申請人の主張1については認める。
2 同2は否認する。
申請外日本生命保険相互会社との生命保険の団体取扱契約締結の当事者は被申請人ではなく、個々の保険契約者によって構成される団体であり、その団体が被申請人の名称として便宜使用したものにすぎない。したがって、保険会社から支払われる手数料は被申請人が取得すべきものとはいえない。
第三疎明関係《省略》
理由
一 申請の理由1、2記載の各事実および被申請人が申請人に対し、昭和五六年一〇月一日、同日付で申請人を懲戒解雇する旨の意思表示を書面でなしたことについては、いずれも当事者間に争いがない。
二 そこで、右懲戒解雇の効力について検討する。
1 右争いのない事実、および《証拠省略》によれば、申請人は、被申請人に雇用されて以後事務職の業務に従事し、昭和四九年四月からは庶務の業務として各従業員に支払う賃金から労働組合費、共済会費、旅行費、各種保険料等を控除する業務を前任者の申請外乙山春夫から引き継いで担当するようになったこと、右業務は申請人が岩井営業所、松伏営業所へと転勤した後も引き続き申請人の担当で、その担当は昭和五六年九月に北茂呂営業所に転勤となるまで続いたこと、右担当業務のうち保険料の控除は、被申請人の従業員が申請外日本生命保険相互会社および同富国生命保険相互会社と個人契約している保険契約の保険料を当該各従業員の毎月の賃金から控除してこれをとりまとめ一括して各保険相互会社に払い込むもので、これに対しては各保険相互会社から払込金額の三パーセントの事務手数料が支払われていたこと、申請人は、昭和四九年四月から同五六年八月までの間、この手数料を被申請人に納入することなく、自己の取り分として取得していたこと、このようにして申請人の取得した手数料総額は金八十数万円に及んでいることがそれぞれ一応認められる。
一方、《証拠省略》によれば、右各保険相互会社から支払われる事務手数料は、申請外日本生命保険相互会社からのものについては昭和四八年二月一日に被申請人と右保険相互会社間で締結した生命保険の団体取扱契約に基くものであり、申請外富国生命保険相互会社からのものは昭和四六年五月二四日に被申請人を含む申請外東武鉄道株式会社の関連会社と右保険相互会社間で締結した団体定期保険契約に基くものであり、これら契約によれば、保険料一括払込金額の三パーセントの事務手数料は各保険相互会社から契約相手方である被申請人に対して支払われることになっており、したがって、本件事務手数料は被申請人に帰属するものであることが一応認められる。なお、申請人は、この点に関して、右各契約の一方当事者は個人として保険契約をしている従業員の団体であり、その団体が単に被申請人の名称を便宜使用しているにすぎず、本件事務手数料は被申請人に帰属するものではないと主張し、申請人本人尋問の結果中には同主張に添った供述部分が存する。しかしながら、右各契約の一方当事者が被申請人であることはこれら契約の契約書である《証拠省略》の書式および契約文言自体から明白であり、したがって申請人本人尋問結果中の右供述部分は措信できず、申請人の右主張は採用できない。
そこでつぎに、申請人が本件事務手数料を自分の取り分として取得するに際してこれが被申請人に帰属するものであることを認識していたか否かについてみるに、《証拠省略》によれば、申請人は、本件で問題とされている保険料に関する事務は前任者の申請外乙山春夫から担当を引き継いだものであるが、申請人はその引き継いだ業務を始めるに際して前任者から引渡された関係書類に充分目を通すことをせず、具体的な事務処理の方法を前任者から教わってこれをそのまま踏襲し、各保険相互会社から支払われる事務手数料についても、これは事務取扱者が取得してもかまわないとの前任者の言を漫然と信じ、以後、さしたる疑念をいだくことなくこれを自己の取り分として取得し続けていたことが一応認められ、したがって、申請人には、本件事務手数料が被申請人に帰属し、これを取得することは被申請人に対して横領になるとの明確な認識があったものとは認められない。もっとも、《証拠省略》によれば、申請人が事務引継ぎに際して前任者から引渡された関係書類のファイルの中には被申請人と申請外日本生命保険相互会社との間の団体取扱契約証書も入っており、申請人がこれを精読すれば本件事務手数料が被申請人に帰属するものであることを知りえ、あるいは少なくとも自己が取得することに疑念を持ちえたこと、申請人は右保険料の業務の処理に関しては上司に全く相談しなかったばかりでなく、保険相互会社から被申請人宛に送られた書類を上司に回覧することなく単独で処理したり、昭和五六年九月に北茂呂営業所に転勤となり、それまで担当していた業務を後任者に引き継ぐに際して本件保険料関係の業務のみを引き継ぎを遅らせるなど、申請人が本件事務手数料を取得していることについて申請人自身ある程度のやましさを感じていたと窺われるふしがあることなどが一応認められるが、これらの事実によってはいまだ本件事務手数料が被申請人に帰属することを申請人において認識していたものとまでは認めることはできず、また、他にこれを認めるに足りる証拠も存しない。
2 被申請人の就業規則に基いて定められた懲戒規程には、懲戒解雇事由のひとつとして、会社の金銭、又は物品を横領あるいは窃取したとき、と定められ、また、但し情状により減給、停職または論旨解雇とすることがある旨の定めが存することについては、当事者間に争いがない。そして、《証拠省略》によれば、右懲戒規定の懲戒解雇の条項中には諸種規定する懲戒解雇事由に準ずる行為があったときにも懲戒解雇となし得る旨の規定が存することが一応認められる。したがって、前認定の申請人の行為は、申請人において本件事務手数料が被申請人に帰属すべき金銭であるとの認識があった上での行為であるとは認められないため、懲戒解雇事由としての、会社の金銭を横領したとき、にはそのまま該当はしないが、前示の事情によれば、申請人が従業員としての健全な良識を働かせれば、本件事務手数料を事務担当者が取得することの不条理に疑念を持ち、その正当な帰属主体を容易に知りえたものと認められるから、会社の金銭を横領したに準ずる行為に該当するものとして、懲戒解雇事由該当性を肯定することができるものと思料する。
3 ところで、前示のような懲戒規定を有する雇用主は、懲戒解雇事由に該当する行為のあった従業員に対してこれを懲戒解雇とするか、あるいはこれを軽減して他の軽い処分を選択するかについては、一般に広い裁量権を有するものと解されるところである。しかしながら、この裁量権の行使の結果、従業員間の処罰に合理的な理由もなく著しい不均衡が生ずることは法の許すところではなく、したがって右裁量の自由も無制限のものではない。そして、従業員間の処罰の均衡は、類似の事案により同一機会に処罰を受ける従業員間にあっては特に強く要請されるものと思料する。
《証拠省略》によれば、申請人の前任者である申請外乙山春夫も、申請人と同様、保険相互会社からの事務手数料を着服したこと(ただし、同人の取得額は日本生命保険分としては一三ヵ月分、富国生命保険分は三四ヵ月分である。)について申請人とほぼ同じ頃に被申請人から懲戒処分を受けるに至ったが、その処分は五日間の出勤停止処分であったこと、被申請人が申請外乙山春夫の処分を申請人に比べて軽くしたのは、着服金額が申請人に比べて少ないこと、着服時期が七年以上も前のことであり刑事訴追も不可能になっていること、本人が深く反省していることなどを理由としたことが一応認められる。
被申請人が情状として考慮した右事情のうち、着服金額の多寡および反省の情を考慮に入れることは相当であると思われるが、刑事訴追の可能性については刑事独自の問題であるうえ、現に申請人に対する刑事責任も追求していないのであるから、これを考慮に入れることは相当ではなく、むしろ、申請人に先行する右申請外人の本件事務手数料の取り扱い方が先例となって申請人の行為が誘発されたことに思いを至せば、前任者としての右申請外人の責任は取得金額が申請人よりも少ないことを考慮しても申請人のそれに劣るものではないと評価することも可能であり、その他先に認定した諸事情を勘案しても、被申請人が、申請外人を五日間の出勤停止処分にとどめたのに対し、申請人を懲戒解雇処分に処することは、一般社会通念に照らして不均衡に失し、処分の選択に関する裁量の範囲を逸脱したものといわざるを得ず、したがって、申請人に対する本件懲戒解雇処分は解雇権の濫用として無効のものであると解する。
三 《証拠省略》によれば、申請人の昭和五六年一〇月一日以前三ヵ月の平均賃金は一日当り金八〇八八円であることが一応認められ、《証拠省略》によれば、申請人の賃金支給日は毎月二七日であり、申請人には妻と子供二人があり、申請人ら家族は被申請人から受領する賃金を唯一の収入とし、他に収益をあげうる資産もないことが認められる。
四 よって、その余について判断するまでもなく、申請人の本件申請のうち月額金二四万二六四〇円の賃金の仮払いを求める部分については被保全権利および保全の必要性が認められるから保証を立てさせないでこれを認容し、その余の仮払いの申請については理由がないから却下することとし、また、仮の地位を求める申請については、右認容される賃金仮払に加えてさらにこれを認容すべき必要性が認められないから、却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条但書を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 杉本正樹)